被災地を想い・集える場 Peace On Earth この場づくりに関わってきた人たちの”想い”を伝えます

今年2016年の「311未来へのつどいピースオンアース」は、
3月11日(金)と12日(土)に開催され、今年で5回目の開催となりました。

東日本大震災から5年の月日が経ち、
それでも3月11日の黙祷の時、沢山の方々が日比谷公園へ足を運んでくださったことで
東京にもこのような「追悼の場」があることにとても意味を感じました。

今春、4月14日21時26分以降には
熊本県と大分県で相次いで発生した熊本地震があります。
地震により被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

地震から2か月半、仮設住宅への入居応募が開始されている中、
避難所での慣れない生活に体力面での疲労・また心労、
この梅雨の時期に、地震で緩んだ地盤への強い雨により、
家屋の倒壊など被害が拡大しています。
被災地の方々がこれからも沢山のひとの力を必要としている状況です。

5年前に起こった東日本の震災や熊本での震災のように、
いつこのようなことが起こってもおかしくない状況であることを、
日本に住む私たち1人1人がいつも認識しておくことが大切だと思います。

また、熊本では震災が起こって2か月の今だからこそ必要な支援、
東日本の震災には5年が経過した今だからこそ出来る支援があると考えます。
震災や被災地に対して想いを持ち、自分に今出来ることは何かを考え行動しているひとたちは、きっと沢山いるのではないかと思います。

このPeace On Earthという「追悼の場」が出来るまでには、
当日へ向けて一生懸命に場づくりやつながりづくりをしてきたひと、
仕事や学業との両立と共に、想いを持ってボランティア活動をしてきたひと、
普段の仕事をしながらもボランティアと一緒にこの場を支えてきたひと、
東北に住み・活動しながらも、東京で作るこの場と東北をつないでいてくれたひと、
震災や被災地を考え、想いを持って活動するひとがいました。

こんな風に、震災や被災地へ気持ちを寄せて活動しているひとがいることを、
被災地の方々、そして沢山の方々に知ってもらいたいと思い、
当日のPeace On Earth会場でも掲示していた、
この場づくりに、関わるひとたちの”想い”を掲載します。


「想いの先へ」
メッセージカードブースリーダー ene(エネ)

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1.震災当時何をしていた?何を思った?
私は福島県会津若松市にある実家にいました。
挫折を味わい前向きに生きれなかったあの頃。大きな揺れに死を予感しながらも、その時咄嗟にとった行動は、当時接するのを避けていた近所に住む人達の安否確認でした。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
皮肉にも、立ち直れなかった私を奮い立たせたのが東日本大震災。
沢山の人達が支援や行動をする中当時の私に残されていた唯一の出来る事。
実際、現地に行けない人の方が多いのが現実。しかし、此処で出来る事も必ず存在します。
イベントを通して其々が何かしらの気付きを得ることで、これからの人生のヒントの一つになってほしい。
そんなシンプルな思いで参加しています。
それは『想いと向き合う』。
芸術を通してものづくりがしたかった私は、改めて上京をし、自分の原点でもあるアートの活動を始めます。
そして真剣に向き合うためにもう一度学びを得たいと思い、昨年デザインの学校に通い始めました。
そこで得たものは、自分が体験してきた出来事や想いをカタチにできるデザインの存在に出会えたということ。
それが、『ソーシャルデザイン』というものでした。
その事に気付かせてくれた人や出会いに今でも感謝しています。

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
昨年、Peace on Earthの活動で初めてボランティアを経験。私の社会活動の原点でした。だからこそ、5年という節目にここから発信できる事をもう一度考えたかったんです。
現地ではなく東京でする意味。

4.これからどうしていきたいか
デザイナーとして、裕福の為のデザインだけでなく、人とのコミュニケーションや自分自身を見つめ直す事の
出来る『再生』の為のデザインを残していきたいと思っています。これからの私達に必要なのは、身近にある豊かさを自分自身で気付き、自らの手で繋げていく事。その工夫の役割として、笑顔のきっかけを作るお手伝いをしていきたいです。

今回私はカンパ&メッセージカードブースにいます。いつでも気軽に声をかけてくださいね。
点と点が線になる。それは決して簡単な事ではないですが、
ここは想いと想いが緩やかに繋がっていく空間なので、是非、ゆっくり見ていってください。

「何ができるか一緒に考えたい」
大鍋ブース&広報チームリーダー あやみん

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1.震災当時何をしていた?何を思った?
私は震災が起きた時、大学入試で東北に向かう新幹線に乗っていました。トンネルの中で脱線するかと思うほど新幹線が揺れ、急停車、その後は約12時間ほど待機をし、明け方に避難所に向かいました。その時は、不安を感じていましたが、同時にそこで出会った人たちに沢山親切にしていただいたのを覚えています。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
震災や原発事故の被害は東北(特に原発事故は福島)の問題として語られがちだけど、地域は関係なく、私たちの問題であり、みんなで考えていくべきものだと感じていました。大学2年生の時「みんなで考えていくためには何が必要か」というテーマを立て、福島に訪れて学習をしていました。

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
5年という年はひとつの節目であり、震災のことが注目される機会なのかな、と思います。
段々、世間でも人びとの間でも忘れられていく震災のことを考えるきっかけに自分も深く関わりたいと思い、参加を決めました。

4.これからどうしていきたいか
一人一人が震災について考えながら過ごせるようになったら、もっと社会は良い方向に動くのではないかと思っています。もっと現地に行って、何が起きているのか、何が本当なのかを自分で把握して、考えていきたいです。

「変わる行動と変わらない教訓」
ごみゼロステーションリーダー おか

s1050おか

1.震災当時何をしていた?何を思った?
2011.3.11、私は東京のオフィスで仕事をしていました。
当日は会社に泊まり、翌朝帰宅してから事の大きさを知りました。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
それから5年間、震災関係のフェスに参加してきました。
ただ惜しくも、現地には一度しか行けていません。
その中でPeace on Earthについて東北の活動家の方から聞いた言葉があります。
「東京で、この日にこんなイベントが行われる。それを被災地の人たちがとても喜んでくれている」
現地ではなく東京で活動し続ける意味に、自信を持てました。

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
とはいえ、時間と変化の中で記憶や想いが薄れてしまうことを感じます。
Peace On Earthの準備をするこの季節は、私にとって3.11がくれた教訓を見つめ直す、大切な時間になっています。

4.これからどうしていきたいか
この5年間で母を亡くし、結婚し、子供を持ちました。
感じる教訓は変わりませんが、それに基づく行動は変わりました。
これからも、見つめ直し、歩き出す日にしたいと思います。
皆様にとってもそういった何か意味のある場になれば、という思いで、今年もイベントスタッフとして参加させて頂きました。

ピースオンアース実行委員/ボランティアインフォ代表
北村 孝之

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1、震災の時なにをしていたのか。その時なにを思っていたか。
3月11日は滋賀の実家にいました。阪神大震災のことを思い出しながら自分にできることがあればやろう!と決意して¬できることを探し始めました。

2、震災から5年間をどんな想いを抱いていたのか、活動してきたか。
ニーズがあることで自分にできることをやり続ける。
それだけを思って ボランティアインフォの活動しています。

3、いま、どう思ってPeace On Earthに参加したのか。
「5年という節目」という区切り方をしたくはないけど、震災から5年という月日は経ちました。
地域によって状況は全然違うけど、各地で立ち上がって頑張っている人はたくさんいます。
そういった頑張っている人のことや、活動のことを少しでも多くの方に紹介して知ってもらいたいという
想いでピースオンアースに参加しています。

4、これからどうしていきたいか
これからもボランティアのニーズがある限り期限を決めずにずっと活動し続けます。そしてこれからも
「東北の今」をピースオンアースという場を 通じて多くの人に伝えていきたいと思っています。

インフォメーションチームリーダー 
なかやまん

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1.震災当時何をしていた?何を思った?
当時、高校3年生で放課後の出来事でした。
数日後にあった卒業式・卒業パーティにむけて発表予定だったダンスの練習を仲の良い友だちとしていました。教室内のものがすごい揺れ、都内の学校で周りがビルしかなく、近くの建物の窓ガラスが割れて学校に落ちてきたので これは只事じゃない…と家族のこと真っ先に思いました。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか

この時期になるとあの震災がなければみんなと作り上げてきたダンスを発表できたのに、卒業式も普通に出来たのにと、いまも思ったりもします。
去年の冬に初めて東北(岩手県釜石や宮城県石巻)にいって、復興が進んでいるようでなかなか進んでいないのを目の当りにしたけど東北の人たちはそれでも明るくて。 東京でも東北の支援でできることをしたくて参加しました。

4.これからどうしていきたいか
5年という節目にPOEのリーダーとして活動してきて、みんなの熱意が伝わってきてわたしでも頑張らなきゃ、って気合いが入るし、わたしにもできることを東北の人たちに向けて活動したいと思いました。

「震災×ボランティア×未来」
ボランティアコーディネーター こうたつ

s1050こうたつ

1.震災当時何をしていた?何を思った?
大学の卒業式の予行練習
バイトを早上がりしてその日帰れなくなった友達を泊めました。
「これからどうなってしまうんだろう」という不安がありました。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
2011年はずっと石巻でボランティアしていたこと、それから仕事をしながらも空いた時間で近郊のボランティアを続けていました。今はボランティアインフォという団体に関わりつつ、平日は働いています。
ある意味で震災がきっかけでここにいるようなもので、たくさんの人に出会うためのスタート地点だったような気もしています。一人一人の思いが両極端にあるような気がして、発信発言するのに躊躇しますが、震災をネガティブに捉え過ぎず進んできている気がしています。

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
今まで参加してきたボランティアをきっかけに今回はコーディネーターとしての参加。
昨年はボランティアリーダーとしての参加でした。
みんなの様々な両極端な想いが
重なり合い、触れ合うことで
「それでいいんだ」や、「こうなりたい!」に変わっていけばよいと思っています。
小さな勇気が自信の一歩になりますように。
そして自分のなかでどんなに大事にしても風化してしまう震災への想いを奮い立たせるために。

4.これからどうしていきたいか
たくさんの人がボランティアに来やすい環境を整えたいです。
仕事や会社の休みがとれたり、会いたいと思える仲間や行きたいと思える場所が増えたり…震災がきっかけでボランティアを始めた方も少なくないはずでその輪を持続継続させてもっと広げていきたいです。老若男女どんな人でも。無理せずやりたいことができるといいです。
きっかけがないとできないことが多いからそのきっかけになれるといいです。
東北に遊びにいくもよし。
見たことのない素敵な景色をみんながそしてみんなで見られますように。

「教訓を活かして未来へ」
ごみゼロステーションリーダー たじ

taji

震災から5年が経とうとしています。
多くの方が犠牲となりました。
多くの方が生まれ育った町や帰る場所を失いました。
多くの方が今もなお辛い思いをされています。
しかし、あの日のことをなかったことにすることも、忘れ去ることもできません。
そして、日本でも海外でもそうですが、地球上で生きていく以上、
自然災害は避けられません。

これから先の未来も必ず災害が起こります。
明日かもしれないし、10年後20年後かもしれません。
震災から得た教訓は人それぞれだと思います。
私たちにできることは教訓を活かして未来を築いていくことだと思います。

「震災に対するアクションを広めたい」
ステージチームリーダー ばなな

banana

1.震災当時何をしていた?何を思った?
震災の日、私はまだアメリカにいました。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
それから5年間、私は1度だけワカメ漁を営むお宅へお世話になり、その影響でこのイベントに参加しました。
私がお世話になった漁師の方は、震災の日、沖に行って自分の船を守ったパワフルな人で、震災後しばらくして漁を再開し、日本市場での巻き返しを図るとともに、東南アジアへ自ら赴き、ワカメを売り歩いたそうです。

4.これからどうしていきたいか
亡くなった方への追悼と共に、前へ前へ走っている人の追い風になり、そこから自分がパワーをもらい、またあげる。
これからはそんな震災に対するアクションを皆で広めていこう。と言いたくて参加しました。

「今からでも力になりたい」
メッセージカードブースリーダー べべ

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1.震災当時何をしていた?何を思った?
私は中学生で地震があった時は清掃の時間でした。今まで経験したことのない恐怖、生まれて初めて命の危機というものを感じました。防災訓練のように机の下に潜ったときこれを現実でやるとは思いませんでした。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
昨年初めて被災地にいきました。
自分の目で初めて津波の跡や、未だ住めない街を見た時、私は正直言葉を失いました。
しかし、その時に毎年その地に足を運んでいた人が「綺麗になったな」と言っていたのを聞き、私は何も知らなかったんだと思いました。
それがきっかけで思いが強くなり、身近なことでも力になることをやっていきたいと思い参加をしました。

4.これからどうしていきたいか
過去を振り返るだけでなく、未来へむかうだけでもなく、どちらからも目を背けずに今私ができることをやりたいです。行動を起こしたのが遅かったわたしですが、これからは1人でも困っている人がいるうちはずっと行動したいです。

ボランティアコーディネーター じぇい

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1.震災当時何をしていた?何を思った?
当時は会社で仕事していました。初めて自然災害の脅威を肌で感じました。
その時TVから伝わる情報が本当なのか信じられませんでした。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
活動の一つとして
福島県南相馬市で開催されている騎馬武者ロックフェスに毎年実行委員の皆さんと一緒に関われていることです。
『避難している人や新しい土地に移り住んだ人達が、帰ってくるきっかけになる為に』
そのイベントが開催される事を知り、じっとしていれなかった事を覚えています。
もしそれが自分のふるさとなら?そんな事を考えていました。
東京の若者がやってきて、どうなんだろうか?嫌なんじゃないか。そんな不安もありました。
でも実際には
皆さん温かく迎えてくれて
楽しくて、優しくて、一気に大好きになりました。
今では第2のふるさとです。ただいまーって!
南相馬がこれからもっともっと元気になってほしい!そう想いながら、今も活動しています。
今年で3回目の開催になります。
このきっかけも、元を辿れば2012年のPeace On Earthに参加した事から始まったんだと思っています。
日比谷公園に多くの来場者
アーティスト、著名人
その場所で、ステージチームのボランティアリーダーを担当した事が
結果的に自信に繋がったんだと思います。
それからは、ずっとPeace on Earthに関わっています。
改めて思うと
この時、何もしなければ
今ある沢山の繋がりはなかったんだろうなと思っています。
普段の職業はサラリーマンですが
ライフスタイルは人のために動く事。
この5年で価値観も想いも
ガラリと変わりました。
でも本当に良かったなーって思います。
(あれ?質問に対してちゃんと答えられてるかな笑)

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
東日本大震災を忘れないために
問題意識を持ち続けるために
新しいボランティア参加者に、達成感や何かきっかけを作るため(仲間作り、社会問題、東北に行くなど)

4.これからどうしていきたいか 
これからも必ず起きる震災に立ち向かえる仲間を作りたい
東京でも一緒に支えあえる仲間増やしていきたい
頭が悪いから、自分自身の努力や成長も必要だと思っています。
何があろうと生きるつもりです!!

「忘れないこと」
キャンドルチームリーダー まっきー

s1050まき

1.震災当時何をしていた?何を思った?
2011年3月11日、職場で強い揺れにあい、テレビをつけると、水が畑をなめながら進んでいる航空映像が映りました。アナウンサーが「津波」「避難」と連呼する中、家が波になぎ倒されていく様を見て、ただ茫然とするしかありませんでした。 その数日後、実家はホットスポットと呼ばれる地域にはいりました。福島の方々のように故郷と生活全てを奪われる絶望がよぎりました。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
壮絶な状態と向き合う勇気がなかった私は現地に足が向かず、ただ「東京で何かできることを」と探す中、2013年にたどり着いたのがPeace On Earthでした。
Peace On Earthで繋がった縁は広がり続け、仙台、福島と実際に足を運ぶことができました。現地では語り継ぐ人がいる一方、瓦礫のない草原は何事もなかったように見え、それが一番こわかったのです。それは、あの時の温度感が自分の中で薄れている事実に対するこわさでした。
そして、すでに何事もなかったかのような東京の雰囲気は、「現地では現在進行形である東日本大震災が、それ以外の場所では過去のことになる」現実を示すもののように思いました。
わたしは「孤独感」が人を追い詰め、脆くさせる根本だと考えています。たとえば、現地の方が「忘れられた」と思うことも一つの「孤独感」です。特に、現地の方のような激しい体験がなければ、記憶が過ぎ行くのも早いでしょう。「でもそれでは、今も精一杯生きている人々の生き様さえも、忘れ行くことにはならないだろうか、それを思い出すために、東京でPeace On Earthをやる必要があるのではないか」そう思っています。

4.これからどうしていきたいか
あの日の悲しみも辛さにも、おそらくそれを秘めた逞しさにも強さにも、ただ黙って想いを馳せ、祈る。震災後の様々な問題を肩代わりすることはできない分、「そうやって生きている人たちがいるのだ」、と原点に立ち返ることが、これからは大切になってくると思います。Peace On Earthで、祈りの場であるキャンドルチームを選んだ理由もそこにあります。
現地の方には忘れたい記憶。けれど、遠くにいる私達は「なかったこと」にはしない。
ささやかですが、そうやって想いで繋がり続け、これからも歩み続ける人を応援したいです。

「Web のちからで人をつなげたり、世の中を良くしたい」
インフォメーションチームリーダー まよねーず

s1050まよ

1.震災の時なにしていたのか。その時なにを思っていたか。
海外から帰国したばかりで日本で仕事を探そうと思っていた矢先でした。
できることが少なすぎて自分の無力さを感じていました。

2.震災から5年間をどんな想いを抱いていたのか、活動してきたか。
自分でできることを増やしたいと思い、海外に戻って Web デザイナーとして腕を上げるため、仕事を頑張っていました。

3.いま、どう思ってPeace on Earthに参加したのか。
東北のために頑張っている人の話を、間近に聞きたいと思い参加しました。

4.これからどうしていきたいか
Web のちからで人をつなげたり、世の中を良くしたい。

「つながりで人の心を温かくしたい」
大鍋ブース・キャンドルチームリーダー もっちゃん

s1050みや

1.震災当時何をしていた?何を思った?
当時は表参道で仕事をしていて、地震があってすぐに職場の人たちと外に出てみたら、道に沢山の人。すごいことが起こってしまったんじゃないかと怖くなりました。電車も止まっていたので、道行く人がみんな歩いて帰っていたのを覚えています。家に帰ってテレビを付けた時にやっと東北の状況を知り、現地の映像を見るたびにこれは現実なのかなと思ってしまう程でした。

2.この5年間、どんな想いを抱いていたか。どんな活動をしてきたか
初めは東北のひとたちを遠くからでしか見守ることが出来ずにいました。救援物資を送ったり義援金を寄付したり、しばらくしてからは現地へツアーバスでボランティアにいっていました。その後のボランティア活動の縁から今までやってきたことでいえば、炊き出し用で使うような大鍋で、料理を作って提供しその売上を東北支援に役立てるという活動も大きいです。東北の生産者さんから直接食材を仕入れることで、現地への直接的な支援も大切にしていて、この売上を使ってボランティア皆で現地へ足を運び、福島県・南相馬市の騎馬武者ロックフェスをお手伝いなどもしています。

3.今、どう思ってPeace on Earthに参加したのか
度々東北へ行く機会もつながりもできた今、3月11日、震災の日に追悼出来る場、現地のひとたちの想いに寄り添える場、そして個々がまた一歩踏み出せる場にしたいと思い、今年のpeace on earthにも参加しました。

4.これからどうしていきたいか
色んな気持ちを持った方がいると思うので、その想いに寄り添い、東北のひとたちに何か困ったことがあれば手助け出来る身近な存在や間柄でいたいと思います。
そして、もっと自分に出来ることも増やして、東北にたくさん出向いて東北をたくさん知って、助け合える関係・つながりをつくっていくひとでいたいです。


このように、震災や被災地へ想いを持って関わっている人たち、そして来場してくださった方々、被災地へ想いを寄せているひとたちはまだまだ沢山います。

この3月11日に東京でこの場に関わる意味、またこの場を作る意味、
個々が当日まで想っていたことに違いはあれど、
1人1人が震災や被災地へ想いを寄せてこの場に関わっていたからこそ、
このPeace On Earthという場が成り立っていると考えています。

被災地の方々の想いに寄り添いながら、想いあう機会をつくる、
これからもこの活動は続いていきます。
東日本での震災や熊本での地震で起こったことを踏まえ、
今だからこそ必要な支援、今だからこそ出来る支援をしっかり考えながら、
来年もこの場をつくり日比谷公園でお待ちしています。

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